前項の続きです。3年前に助けた女のために終い船に乗れなかった二郎兵衛、女の家でお礼の馳走を食べている最中、何やら外が騒がしくなります。
家の外に出る二郎兵衛、回りの人の話を聞くと、お客を乗せすぎた終い船が沈没、全員が溺れ死んでしまったとのこと。
危うく難を逃れた二郎兵衛、もし船着場で女が袖を引っ張っていなければ自分を死んでいただろう、と女に深く感謝します。
「佃祭」の物語、まだまだ続きますが、ここで中断して諺に戻りましょう。
スポンサードリンク
「情けは人の為ならず」。
この解釈は2通りありますね。
ひとつは情けをかけてもその人のためにならない、という意味。
もうひとつは二郎兵衛の行いのように、人のために施しをしたわけではないけれど、それが巡り巡って自分の身を助けることにもなる、いわゆる因果応報の意味。
どちらが正解ということはありません。
諺というのは古来、民衆の間で生まれてきた教訓などが慣用されて残った言葉ですから、情けが人のためにならないと思う人が多ければ、それは諺でしょう。
でも。
やはり諺として残したいのは後者の方。
落語の「佃祭」には江戸庶民の粋と人情が「情けは人の為ならず」に込められていますよね。
3年前に渡した5両のことなんかすっかり忘れて、自宅で怒っている妻を案じる二郎兵衛、カッコいいじゃありませんか。
関連記事(一部広告含む):