マハトマ・ガンジーはインドでも裕福な家に生まれ、18歳でイギリス領インド帝国からロンドンに渡り、法廷弁護士になる勉強を始めています。
小学校時代はけっして優秀な生徒ではなく、ヒンドゥー教で禁止されている肉食を繰り返し、タバコを吸い、さらにはタバコ代がなくなると家の召使の金を盗んだことまであった、といいます。
そのガンジーが非所有、非暴力主義に傾倒していったのは初めて弁護士を開業したイギリス領南アフリカ連邦で、列車の1等車のキップを持っていたにも関わらず、アパルトヘイトから荷物ごと列車から放り投げ出された、という強烈な人種差別があったことに因ります。
非所有、非暴力主義の根幹となったのはインドの宗教的叙事詩であるバガヴァット・ギーターの影響と同時に新約聖書の「山上の垂訓」といったイエス・キリストの茨の道を深く理解するなど、宗教の垣根を超えたところにあり、やがて南アフリカ連邦のダーバンにアーシュラマ共同農園を創設、ここで禁欲と断食、清貧と純潔を実践していくようになります。
ガンジーの非所有、禁欲、断食、清貧、純潔の実践はまさに常人では行えないほど徹底していました。
だからこそガンジーの元に多くの弟子が集まり、非暴力主義を貫くことができたとも言えます。