クリエイティブな仕事に携わる人に取って座右の銘となる「神々は細部に宿る」の諺を実践している例、もうひとつご紹介しましょう。
映画監督の黒澤明は、この諺を口に出したことはありませんが、作品の中では当たり前のように実践していました。
「蜘蛛巣城」や「七人の侍」のラストシーン、登場人物に突き刺さる矢はすべて本物を使っていましたし、「隠し砦の三悪人」では財宝と同じ重さを役者に背負わせたり馬に運ばせたりしていました。
この本物と同じ、という効果は役者に恐怖心を抱かせ、演技ではない本当の疲労や筋肉の動きが見られ、それらが観客に伝わることでリアリティを生み出すわけですね。
黒澤明作品では小物が重要な役割を果たすことがよくあります。
「赤ひげ」では薬箱の内側、映らないところでもきちんと漆が塗られていたことは有名な話ですね。
しかし映らないからといって、内側がプラスチックであったら役者はどのような演技をするでしょう?
またプラスチックであったなら光の反射はどのようになっていたでしょうか?
人間の目から入る情報量は記憶以上に多く、実際は情報量を間引いて記憶に残していますが、目から入った情報はいわば直感的な記憶として残ります。
十二単が絹でなく化学繊維であったならば、記憶としては美しいと残ることがあるかもしれませんが、直感的には安っぽい、と感じることもあるのです。
黒澤作品のリメイクがオリジナルを超えられないのは、細部であることも理由のひとつでしょう。