スポーツ界は偉業を成し遂げた人だらけで誰を選んでもこのコラムいっぱいの名言集になってしまいますが、その中でも絶対に外せないのが、元ドジャースの野茂英雄投手でしょう。
野茂選手の偉業はメジャーリーグに行ったことです。
今さら何を言っているの?と若年層の人たちは思うかもしれませんが、1990年代前半、日本人選手がメジャーリーグで活躍するなどということはまさに夢物語でした。
しかも野茂選手は当時、所属していた近鉄バファローズ(現在は解散、その名称だけオリックス・バファローズに受け継がれている)との確執があり、近鉄以外ではプレーができない任意引退の扱いを受けていました。
しかし近鉄を嫌う野茂選手は、任意引退の保有権が外国の球団まで及ばないことを確認、かくしてドジャースとのマイナー契約にこぎつけます。
年俸は近鉄時代の1億4000万円からわずか980万円。ドジャースとしても、たかが島国日本の名も知れぬ投手に高給を支払うという意思はまったくありませんでした。
しかし、その初シーズンを終えると野茂選手は13勝6敗、防御率2.54を記録、さらに236奪三振を達成して最多奪三振のタイトルまで獲得しました。
日本、アメリカの野球観を野茂選手が一気に覆したのは1995年のことです。